じゆうちょう

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草履とタイムワープ

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家を出て自転車を押していた婆さんとぶつかりそうになったところをヒョイとかわした。

「っと、こんにちは」

「こ ん に ち は。涼 し そ う や ね〜」

履いていた草履を指さして興味を示してくれた。

「それは藁、ではないみたいね」

「はい、そうなんです」

七島藺(しちとうい)という植物を使っていること、鼻緒は職人に藍染してもらったことなどを話した。

「私らの時は皆んな草履やってね。出掛けるのに履いて行ってたのよ。昔は土やったから」

もんぺを履いて紺色の綿鞄を背負ったお婆さんに並んで歩きながら足元の土を見ている一人称視点が脳裏に浮かんだ。

「土はいいなあ。この草履はコンクリートも踏めるように裏にゴムのソールを縫ってあるんです。」

山間部で暮らした時、仕事場までの行き帰りを藁草履を履いて歩く実験をして遊んだことがあった。片道を終えた頃には、藁の厚みは半分に、ペタペタに薄くなって3日後には足首の骨が痛くなった。二、三足履き潰した。

街でも、草履を履いて歩いていると、たまに、子どもの頃草履を履いていた世代の人と出会う。そこでプチ交流が生まれて、昔話を聞けることがある。同じ場所・違う時間(Same where, different when.) 淡い映像が見えてきて、今の世と全く違う様相の世界にタイムスリップしているような感覚になる。目線は相手の目を外れて、遠くを見ている。視界で見回すことのできる360度の向こう側を見てるような、宇宙を見ている (looking into the universe) 状態と言えばいいのか、そんな感じの。そして、想像のタイムトラベルが終わって元居た所に帰ってくると、何とも言えない安心を感じる。

想像とは人間に与えられた不思議な、所与の能力で、まるで本当に見たかのように感じることさえある。場合によっては、日常の現実よりも現実感がある。想像力が働くが故に、期待が裏切られたり、未来に向けてエイヤ!と決断できたりする。想像力は訓練できるけれど、使っていないと気づかない内に衰えていく。

 

翌朝、日陰のコンクリ道の上に、まだ温かい綺麗な色模様の小鳥を見つけた。幸い近くに公園があったので土に還した。昔の日本人はこの種類の鳥になんていう名前を付けたんだろうと思った。

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