じゆうちょう

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2人のリック、空を泳ぐ夢

午前十時

内陸のカルガリーから太平洋沖に向かうにつれて山脈に緑が見えるようになった。エバーグリーンの樹木が見え、ああ、帰ってきたな。という感じがした。

ヴァンクーバー空港に到着した後、電車で中心地まで移動し、三十分ほど街を歩き回った。ホテルをチェックしながら止まれそうな所を探したが、どこも値段が高かった。1泊2万からが相場でシェアルームのホステルは満員だった。高層ビルで日陰になったストリートは、さまざまな有機物が混じり合って数日間放置された後の匂いがしていた。早朝だったが多くのヘロイン中毒者とすれ違った。もう暫く歩いた後、今夜過ごしたいのはここじゃないなと感じて、海が見えるwater frontエリアへと向かった。

途中、区画の一角に煙が出ている時計を見つけた。観光客が周りを取り囲み写真や動画を撮っていたので見に近づいた。スーツケースの車輪が引っかかり、下を見ると赤みがかった紅葉が落ちていた。

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✳︎一人目のリック

海辺でチケットを買って、時差を合わせるために太陽光を浴びながらクランベリーチキンサンドウィッチの残りをかじった。船は正午に向い島の町ナナイモに出発した。船で寝落ちし、島に着くころに目が覚めた。中心地ではすぐに空いているホステルが見つかり、インド人の受付係に1泊60ドルの4人部屋を用意してもらった。荷物を下ろして共有リビングのソファで一睡した。部屋に戻ると一人目のリックに出会った。コスタリカで17年住んだ後戻ってきたカナダ人。コスタリカでは楽器の材料となる「special wood」を保全するために農場を所有して、種から育てていたらしい。「そのストーリー聞きたい」と言うと、コブラの赤ちゃんに噛まれたことや、ブラックパンサーを見た時の話を聞かせてくれた。

2回目の眠気が来たので、海辺の公園に出向き、杉の木の集まった近くにイイ感じの芝生の丘を見つけ、日向が消えるまで眠った。起きると少し時差が縮まった感じがした。

 

部屋に戻ると、もう一人のルームメイトに会った。フレンドリーで大内股が得意なワキーム。スケボーからスノボーまでやりこなす板乗りらしく、穴場のサーフィンスポットについて教えてくれた。何か食べに行こうと夜の町に出掛けた。インドネシアのケチャダンスの話をしていると、バーガー食べたいな、ということになり、数ブロック先の食堂に入った。カナダの有名料理と聞いていたプティーンとIPAビールを注文した。プティーンはフライドポテトに甘辛い肉汁ソースをかけたハイカロリーな揚げ物で、食べ切るのに1時間かかった。一回目は何でもイイ思い出、iPAビールは草の風味がした。

ワキームは「日本人はお化けを信じるのか?」と聞いてきた。

自分「僕は見たことないけど、信じてる人はけっこういると思うよ。とくに子どもの時は。大人でも、幽霊の話して帰って一人になるとゾッと怖くなったりする。日本のホラーはそんなんが多い。psychological horror、洋画やったらsilence of lambとかに近い系統が多いかも。」

ワキーム「日本のでいうと、呪怨がめちゃくちゃ怖かった。ghostっていうんは夜に出てくるんもんやと思ってたけど、呪怨見てからは、昼間にも出るんかと知ってめっちゃビビった」

「笑」

映画好きと言うのでおすすめを聞くと

"The dark and wicked"

"The evil dead"

"Eraserhead"

top3を教えてくれたので、プティーンとハンバーガーを頬張りながら、Youtubeを開き2人で予告編を見た。全部ダークなホラーだった。「The evil deadは60〜70回は観たわ」と言うので、話盛ってたとしても見過ぎやろ、と思った。

自分はデヴィッド・クロネンバーグの"Videodrome"と"Crimes of the future"、SFは"Ex machina"が良かった、日本のは呪怨が怖かった、もう見たくないと言うと、

ワキームが「アアア」と呪怨の声を真似し出して、二人で爆笑した弾みでワイングラスが倒れ粉々になった。

帰り際、よく空を泳ぐ夢を見るんだ、という話をした。ところが大体2、3Fくらいの高さまでしか上がれなくて。と言うと、ワキームも同じ夢を見ることがあるようで、息を吸い込むとポンっと一段上に上がれるらしい。僕は息を吐いていくとシューッと上に行けるタイプなので、色々やり方があるんだなあと思った。

 

✳︎2人目のリック

ホステルに帰り、リビングで歯を磨いていると、白髪で背の高いおじいさんが近寄ってきて、日本人だね?といった。なんでわかったんですか、と聞くと、座り方で分かったという。その人はリックという名で、昔、日本人と果樹園で働いていたらしい。果樹園にはブラザーと呼ぶ3人の日本人がいて、その一人が親分でとても厳しかったらしい。ある日、親分が乗るトラクターの右前輪が外れて転がって行って、厳しい親分がパニックになったんだ!という物語を聞いた。ある日系アメリカ人が書いた本で読んだことを思い出した。戦前、戦後の北米の日本人の多くは郵便配達や庭師、農家をして生計を立てた。農家は土に気を遣ってこだわり土壌を育て、質の高い作物を沢山作っていた。現地の農家は日本人農家の所へ行き、どうやったらこんな甘いトマトが作れるのか聞いたと言う。それらの農地の多くは後に都市住宅の立地のために整地された。年月を経て育てられたリッチな土はどこかへ行ってしまったらしい。

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北米旅情

昼二時 伊丹

ゴオオオオという飛行機の唸り声とともに両手のひらに汗が滲む。目を閉じ、陸から宙へ浮き上がる瞬間、その境界を全身で感じ取った。故郷やよく遊んだ公園を上空から一望し、ああ、行くんか。としみじみ思った。手前の雲は地上から見上げるよりも近かった。雲を越え、気圧と温度が下がった時、カラダが「スッ」とラクになった。

地上を見て、人生ゲームの盤を思い出した。4針縫ったばかりの指のことも、大幅遅延している乗り継ぎのことも、どうでもよくなり、呼吸はゆっくり深くなった。しばらくすると、ロングビーチが見えた。「海岸線をずっと拡大し続けていくと、拡大した境界線も拡大前と同じような形状をしている」というフラクタル次元について連想した。

一席空いた隣の乗客はフワフワのウサギの人形を撫でていた。伊丹から成田まではあっという間に着いた。

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夜九時 成田

ちょっとアナログな旅をしたかった、というのもあって、オンラインチェックインとかはせずに、看板と職員を頼りに乗り継ぎをしようとした。タブレットを持った空港の職員に次の国際線のフライト情報を伝えると「第2ターミナルです」と親切に教えてくれたので連絡バスで向かった。4Fカウンターでパスポートを見せると、「お客さまのフライトはターミナル1です」と知らされた。同じ時間に同じ目的地へ飛ぶ飛行機が2つあったみたいだ。出発2時間前を切っていたので猛スピードで地上まで駆け降り、連絡バスに文字通り飛び乗った。久々に走った。

結局、遅延で3時間空きができたので成田空港の食堂の列に並んだ。前に並ぶカナダ人が、この丼はwheatが入ってるのか聞いていて、若い店員が「??」していたので、「小麦を使ってるのか聞いてます」と隣からフォローした。店内は忙しそうだった。自分は「梅干しわかめうどん」と豆腐を注文した。麺は縮れていたけど、やっぱり一息ついた後の飯は美味しかった。

早めに搭乗口前に行って、からだを休めることにした。旅前は不安がチョロチョロしていたけど、いざ始まると案外気持ちが入る。腰椎をストレッチし、ふくらはぎを動かしてから横になり、目を休めた。視点を分散させる方法を試してみたら、こめかみの筋肉が緩み、頭痛の予感が消えた。後ろの席のCAがぺちゃくちゃ喋っていたので、英語に慣れようと耳を傾けた。サンホゼ空港の窓際で居眠りをして飛行機を乗り過ごしたことを思い出して、ムクっと起き上がった。

アメリカ大陸までの9時間のうち最初の2時間は機内食を食べたり、目の前のスクリーンの設定をいじったりして過ごした。両隣はカナダ人の女性バレー選手だった。右隣の人はずっとタブレットに熱中していた。機内食を三十秒くらいで食べ切ってたのでビビった。ゆっくり噛んで食べよっ、と思い、小麦パンをモグモグしながら友人や家族のことを思った。備え付けの枕を腰とシートの隙間に挟み、ブランケットで首枕を作った。襟巻きトカゲみたいに前まで巻くと、寝ても頸椎が安定してとてもラク。窓側の左の人はしょっちゅう「ピイに行くわ」と言うので、自動的に立ち上がって脚を伸ばすことができた。めっちゃよく寝れた。

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夕方五時(日本時間ー15)カルガリー

流れるままに長蛇の列に合流した。ATMのようなマシーンでパスポートを読み取り、居住地や滞在期間・目的、申告するものはないかをチェックする。「肉製品・植物」の欄にチェックを入れて審査室へ進んだ。1〜20番まで窓口がズラッと屋台のように並んでいた。名前が呼ばれるのを待つ間に、カナダのeSimをケータイにダウンロードした。名前が呼ばれると、窓口で職員にInvitation letter(オンラインでワーホリビザを手続きすると最後に発行される紙)と健康保険の加入証明書、資金証明書(proof of funds)と指紋を提出した。

「肉製品・植物持ち込みの申告があるが中身は何かな?」と質問を受けた。

「大根の種です」

「『大根』?」

「はい、大根です。少量で未開封の袋に。checked bagに入れてあります。友人がくれたものです。」

「それは大丈夫だ」

無事VISAが発給された。

 

正式に入国して、まず、外に出て空気を入れ替えた。日本の4月はじめのような肌寒さと、ちょうど良い湿り気があった。次のフライトが翌朝まで延期されたので、カウンターでホテルと食券を頼み、空港内の宿マリオットに入った。ロビーのグリル&バーで、アトランタ・ブレイブスとロサンゼルス・ロジャースの試合をTVで見ながら、メープルシロップで味付けをされたサーモンのサラダを食べた。食後、友人の母から頂いた手紙を部屋のカードーキーで開封した。

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十時に床につき、一日の記憶を最後まで絞り採ったような凝縮された夢を見た。

 

『旅の面白さとは』 澤田 瞳子

徳島新聞コラムから引用

「20代の頃、徒歩での移動にハマっていた。といっても運動とは無縁の分弱の徒だけに、四国遍路や東海道を歩いて制覇するほどの元気はない。ただ、公共交通機関なら二、三十分でたどりつける距離を、道路標識を頼りにてくてく歩くだけ。車窓から眺めるばかりだった土手を拭きすぎる風、側に寄れば思いがけず巨大だった並木の幹の太さを楽しみ、日常をプチ旅行に替えていたのだ。

私鉄で三十分かかる場所も、歩いていけば軽く四、五時間はかかる。まだスマートフォンが存在せず、道に迷っても従来型携帯ガラケーの小さな画面が映し出す地図が頼りの時代だけに、目的の駅を聞き間違えた末、炎天下の農道を歩いて熱中症になりかけたり、山道の途中で歩道が消え、隣を走るトラックに恐怖したりと、振り返るとかなりの無茶をしたが、それがなかなか楽しかった。旅とはあえて出かけずとも、どこにでも隠れているのだな、と思った。

何のトラブルもなく目的地に着いた時のことは、不思議に案外覚えていない。ある神社に薪能を見に行った夏の日、道中でひどい夕立に降られ、ずぶ濡れで能を見た一部始終は、鮮明に記憶しているのに。

思えば旅とは奇妙なもので、成功・失敗の区別がない。電車に乗り遅れて、無人駅で半日、次の電車を待とうとしても、あてにしていた食堂が臨時休業で食事にありつけずとも、いったん日常に戻れば、それらもまた旅の思い出となる。

とはいえスマホが普及し、いつでもどこでも多くの情報が手に入る現在では、旅先へのルートはもちろん、行く予定のレストランの詳細なメニューまで事前に把握でき、どうにもならないほどの憂き目に逢うことは滅多にない。

道の場所に出かける上で、確かに情報は大切だ。ただ映画を前もってあらすじを読んだ上で見るのと、予備知識を持たずに見るのでは楽しみ方が違うように、情報が我々から旅の面白さを遠ざけるのもまた事実。

40代になった私は今、外出の際には、目的地への最短手段をスマホで調べ、わき目も振らずそこに向かう。当然、徒歩ではない。それは確かに迅速だが、かつて自分が味わっていた「旅」を自ら手放してしまっていると思うと、少々、寂しい。」

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草履とタイムワープ

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家を出て自転車を押していた婆さんとぶつかりそうになったところをヒョイとかわした。

「っと、こんにちは」

「こ ん に ち は。涼 し そ う や ね〜」

履いていた草履を指さして興味を示してくれた。

「それは藁、ではないみたいね」

「はい、そうなんです」

七島藺(しちとうい)という植物を使っていること、鼻緒は職人に藍染してもらったことなどを話した。

「私らの時は皆んな草履やってね。出掛けるのに履いて行ってたのよ。昔は土やったから」

もんぺを履いて紺色の綿鞄を背負ったお婆さんに並んで歩きながら足元の土を見ている一人称視点が脳裏に浮かんだ。

「土はいいなあ。この草履はコンクリートも踏めるように裏にゴムのソールを縫ってあるんです。」

山間部で暮らした時、仕事場までの行き帰りを藁草履を履いて歩く実験をして遊んだことがあった。片道を終えた頃には、藁の厚みは半分に、ペタペタに薄くなって3日後には足首の骨が痛くなった。二、三足履き潰した。

街でも、草履を履いて歩いていると、たまに、子どもの頃草履を履いていた世代の人と出会う。そこでプチ交流が生まれて、昔話を聞けることがある。同じ場所・違う時間(Same where, different when.) 淡い映像が見えてきて、今の世と全く違う様相の世界にタイムスリップしているような感覚になる。目線は相手の目を外れて、遠くを見ている。視界で見回すことのできる360度の向こう側を見てるような、宇宙を見ている (looking into the universe) 状態と言えばいいのか、そんな感じの。そして、想像のタイムトラベルが終わって元居た所に帰ってくると、何とも言えない安心を感じる。

想像とは人間に与えられた不思議な、所与の能力で、まるで本当に見たかのように感じることさえある。場合によっては、日常の現実よりも現実感がある。想像力が働くが故に、期待が裏切られたり、未来に向けてエイヤ!と決断できたりする。想像力は訓練できるけれど、使っていないと気づかない内に衰えていく。

 

翌朝、日陰のコンクリ道の上に、まだ温かい綺麗な色模様の小鳥を見つけた。幸い近くに公園があったので土に還した。昔の日本人はこの種類の鳥になんていう名前を付けたんだろうと思った。

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グッバイメレル

4年近く履いたMerrellの靴を眺めていた。

21歳の春、米国のシアトルという町に滞在していた時に知り合いのYoakim(よぉーきむ)に貰ったハイキングシューズだった。

ある週末に親戚のダナおばちゃんの庭で竹を根こそぎ抜くバイトをすることになった。「土に汚れてもいい靴が必要ね」と言って近所のよぉーきむに聞いてくれた。身長が近かったので合いそうな靴を置いていてくれた。徒歩で試着しに向った。よぉーきむは奥さんと旅行中で家の鍵を空けていてくれたので玄関で試し履きをした。ピッタシだった。「ありがとう」と一筆置いて持ち帰った。結局靴は全く汚れなかった。遠い親戚とはいえ、バイト代を貰うのは少し申し訳なかったので、代わりに冷凍庫に入っていたイチゴソースチーズケーキ1つを貰った。

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日本に帰国して、山間部で木工の見習いを始めた時は仕事靴として大活躍してくれた。濡れた石の上を飛び歩いて沢を探検した時も、メレルを履いているといつも安心だった。ゴムに亀裂が入って穴がいくつか開いたけど、内側から出てくる美しさみたいなものが時間を重ねるごとに伝わってきた。

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眼のメモ

つい最近、プールに着いてゴーグルを忘れたことに気づいた。コンタクトをせず眼鏡をかけて来ていたので、ほとんど視力がない状態で泳ぐことになった。「せっかくやし、今日はできることしよ」と思うことにした。

大抵のプールには青の短針と赤の長針からなる時計がある。一分かけて1周する。部活などの普通の練習では、時計と競争するように常に時間を意識して泳ぐことになる。

裸眼だとこれが見えない。だから時間が目に入ってこない。また、レーンを共有している人の顔も、監視員の視線も届いてこない。ゴーグルを装着せずに泳いだ水の中では、青と白の床のタイル模様が太陽光で屈折してゆらゆらとボヤけ、まるで幾何学模様のトンネルの中を泳いでいるような感じだった。

1時間近く泳いだが、疲労感は少なかった。からだの状態はいつもより深く観察できていた。

後から考えてみると、目がポイントだったと思う。裸眼だったことで視界からの情報量がグッと減り、視界情報を処理するためのエネルギーを、からだ内部の動きや泳ぎの観察に充てることができていたのでは、と思った。

普段暮らしていると、狭い範囲に視点が集中していることが多い。

スクリーンを見ている時間。本を読む時。次の信号に向って街を歩く時。僕たちは、狭い範囲に集中を注ぐハンターモードに入っている、と言えるかもしれない。

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視力が悪いと、離れた対象に視点を一点集中させるのは難しい。半ば強制的に、景色全体がぼんやりと観えている状態になる。広い草原を満遍なく眺める休憩中のチーターのように。

ここからは全くの想像だけど、このような視点の調節には、とても多くの筋肉の繊維が同時に協調しているはず。一点を見てるとき、ある筋肉繊維は緊張しながら別の繊維は比較的緩んでいる状態にしてピントを合わせている(鮮明に見える部分の周りはボヤける)。反対に、眼に繋がる筋繊維の緊張度がどの部分においてもある程度一定になった時、視点が分散する(鮮明度が一定になる)。

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ホットアイマスクや目薬などの外からの治療以外にも、小まめに視点を分散して眼に繋がっている筋肉を緩めることで、視界からの疲れを軽減でき、そこで浮いたエネルギーを別のことに回すことができる。と思った。

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夢でイクチオステガを見た

8月2日、夢でイクチオステガを見た。イクチオステガは大昔、海から陸に上がった最初の動物だと言われている。友人の子が見ていた恐竜の図鑑か何かがきっかけで知って、感動した。

Ichthyostega BW

 

ちょうどその時期から、頻繁に泳ぎに行くようになった。

仕事終わりに通うために、大阪のスポーツジムにも入会した。水深は100cm~130cmで浅い。室内照明はミラーゴーグルなしでも眩しすぎず、マットグレーの壁と相性が良かった。米国ワシントン州のRedmondという町の室内プールを思い出した。

17歳の時、初めてのアメリカ旅で親戚のロジャーおじさんに「どうしてもプールに行きたい」と頼んで夜中に連れて行ってもらった。水深は深いところで5m以上あった。アメリカのプールは大体どこも飛び込み台があったので底が深く、泳ぎ心地も違った。照明控えめの落ち着いた雰囲気が気に入った。

いつも大抵クロールから始める。息を切らさない程度の負荷で泳ぐ。意識は肩甲骨から指先に伸びていって、両腕はヒレになっているイメージで泳ぐ。息継ぎから状態をローリングして背泳ぎに移ったり、真下を向いたり、顎を上げて指先を見て泳いだり。様々なバリエーションを混ぜて試してみる。

体がぽかぽかしてきたら、ボードキックで腹筋下部に意識を移動させてみる。この時は、腹筋下部から足首・つま先までをヒレだと思って進む。

顎は水面に入れて鼻腔は水面スレスレに、胸郭はヒレの動きと連動してゆらゆらと。水飛沫は立てずにムワムワ〜と縦に動くようなイメージでいくと掴みやすい。

クロールの次は平泳ぎ。意識はさらに下へ、股間節周りへと移して、可動域を広めたり狭めたりしながら上半身はとくに意識せずに泳いでいく。だんだんと直立二足歩行動物の感覚が薄まってくる。

【直立⇨水平、重力⇨脱力】

だいたい満足してきたら最後に25m×10-15本くらい潜水をする。空気を吐き切って、吸い込んでを繰り返す。肺8割くらい空気を溜めたら、最後に口先から素早くスッと吸い込むと良く入る。水中で大きくゆっくりと平泳ぎで進む。潜水は上手く脱力できているかが良く分かる。

ウエイトトレーニングや一瞬に力を込めるような筋トレを辞めてから2ヶ月半が経った。長年の反復で染み付いた「スポーツとしての水泳」からも離れようとしている。「運動」や「筋トレ」の再定義をするタイミングに来ていると思う。経験上、なかなか習慣を変えるのは難しい。難しいというか、負荷がかかる事をするには大きなエネルギーを使う。やろうと思ってもエネルギーが枯渇していると、足りない分を他のどこかから引っ張ってくる必要があって。「頑張る」だけでは体が持たないことに、段々気づいてきた。