じゆうちょう

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『旅の面白さとは』 澤田 瞳子

徳島新聞コラムから引用

「20代の頃、徒歩での移動にハマっていた。といっても運動とは無縁の分弱の徒だけに、四国遍路や東海道を歩いて制覇するほどの元気はない。ただ、公共交通機関なら二、三十分でたどりつける距離を、道路標識を頼りにてくてく歩くだけ。車窓から眺めるばかりだった土手を拭きすぎる風、側に寄れば思いがけず巨大だった並木の幹の太さを楽しみ、日常をプチ旅行に替えていたのだ。

私鉄で三十分かかる場所も、歩いていけば軽く四、五時間はかかる。まだスマートフォンが存在せず、道に迷っても従来型携帯ガラケーの小さな画面が映し出す地図が頼りの時代だけに、目的の駅を聞き間違えた末、炎天下の農道を歩いて熱中症になりかけたり、山道の途中で歩道が消え、隣を走るトラックに恐怖したりと、振り返るとかなりの無茶をしたが、それがなかなか楽しかった。旅とはあえて出かけずとも、どこにでも隠れているのだな、と思った。

何のトラブルもなく目的地に着いた時のことは、不思議に案外覚えていない。ある神社に薪能を見に行った夏の日、道中でひどい夕立に降られ、ずぶ濡れで能を見た一部始終は、鮮明に記憶しているのに。

思えば旅とは奇妙なもので、成功・失敗の区別がない。電車に乗り遅れて、無人駅で半日、次の電車を待とうとしても、あてにしていた食堂が臨時休業で食事にありつけずとも、いったん日常に戻れば、それらもまた旅の思い出となる。

とはいえスマホが普及し、いつでもどこでも多くの情報が手に入る現在では、旅先へのルートはもちろん、行く予定のレストランの詳細なメニューまで事前に把握でき、どうにもならないほどの憂き目に逢うことは滅多にない。

道の場所に出かける上で、確かに情報は大切だ。ただ映画を前もってあらすじを読んだ上で見るのと、予備知識を持たずに見るのでは楽しみ方が違うように、情報が我々から旅の面白さを遠ざけるのもまた事実。

40代になった私は今、外出の際には、目的地への最短手段をスマホで調べ、わき目も振らずそこに向かう。当然、徒歩ではない。それは確かに迅速だが、かつて自分が味わっていた「旅」を自ら手放してしまっていると思うと、少々、寂しい。」

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