じゆうちょう

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眼のメモ

つい最近、プールに着いてゴーグルを忘れたことに気づいた。コンタクトをせず眼鏡をかけて来ていたので、ほとんど視力がない状態で泳ぐことになった。「せっかくやし、今日はできることしよ」と思うことにした。

大抵のプールには青の短針と赤の長針からなる時計がある。一分かけて1周する。部活などの普通の練習では、時計と競争するように常に時間を意識して泳ぐことになる。

裸眼だとこれが見えない。だから時間が目に入ってこない。また、レーンを共有している人の顔も、監視員の視線も届いてこない。ゴーグルを装着せずに泳いだ水の中では、青と白の床のタイル模様が太陽光で屈折してゆらゆらとボヤけ、まるで幾何学模様のトンネルの中を泳いでいるような感じだった。

1時間近く泳いだが、疲労感は少なかった。からだの状態はいつもより深く観察できていた。

後から考えてみると、目がポイントだったと思う。裸眼だったことで視界からの情報量がグッと減り、視界情報を処理するためのエネルギーを、からだ内部の動きや泳ぎの観察に充てることができていたのでは、と思った。

普段暮らしていると、狭い範囲に視点が集中していることが多い。

スクリーンを見ている時間。本を読む時。次の信号に向って街を歩く時。僕たちは、狭い範囲に集中を注ぐハンターモードに入っている、と言えるかもしれない。

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視力が悪いと、離れた対象に視点を一点集中させるのは難しい。半ば強制的に、景色全体がぼんやりと観えている状態になる。広い草原を満遍なく眺める休憩中のチーターのように。

ここからは全くの想像だけど、このような視点の調節には、とても多くの筋肉の繊維が同時に協調しているはず。一点を見てるとき、ある筋肉繊維は緊張しながら別の繊維は比較的緩んでいる状態にしてピントを合わせている(鮮明に見える部分の周りはボヤける)。反対に、眼に繋がる筋繊維の緊張度がどの部分においてもある程度一定になった時、視点が分散する(鮮明度が一定になる)。

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ホットアイマスクや目薬などの外からの治療以外にも、小まめに視点を分散して眼に繋がっている筋肉を緩めることで、視界からの疲れを軽減でき、そこで浮いたエネルギーを別のことに回すことができる。と思った。

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